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 式典は順調に進み、吹奏楽部の演奏も一段落着いた。終わったかと思うと、どっと疲れが祥子に押し寄せてくる。テントがあるにしても、八月の炎天下の下であるし、遺族や参列者、生徒代表らの献花の間、ずっと立って演奏していた上に、その間中緊張を強いられていたからそう感じるのも無理は無い。
 あのお婆さんはどうしただろうと見てみると、しっかりと座って式を見守っているみたいだ。祥子はそれを見て幾分か安心した。式は、演劇部員による詩の朗読に差し掛かっている。原爆で女学生の姉を亡くした妹が作ったという詩で、演劇部員の女の子の情感のこもった朗読も相まって、遺族はもとより感受性の強い女子生徒まで感極まって泣き出す有様だった。祥子も少し涙ぐんでいた。

 その朗読を聴きながら、祥子は今日のことについて考える。今日は夏休みの真っ只中の一日。自分たちのように部活に入っている人たちは、休み中でもほぼ毎日学校に通っているからそれほどでもないが、そうでもない人はやはりこういうことを苦痛に感じているだろうか。ここに来ている人たちでさえ面倒くさそうに、ただ先生に言われているからやるだけという人が幾分かいるみたいだ。いつだったか、幼馴染の少年――大野竜彦とこの行事について口論したことを思い出した。『あんなのくだらない。昔のことだし、もう関係ないじゃないか』と言った彼の口調が彼女にはとてもショックだった。

『祥子は真面目だからな・・・』

 感情が昂って、珍しく涙目になってまで彼を詰ったとき、彼は祥子にこう呟いた。その口調にはどこか非難めいた感情があるのを、何となくだが彼女は感じていた。やっぱり、竜彦は生真面目な自分のことをどこか疎ましく思っているのだろうか。別に関係が悪くなったと言うわけではない。今でも普通に話しているし、仲間と一緒に遊んだりもしている。でも、ある時期から自分に彼の態度が変わっていたのを感じていた。彼がどこか投げやりになったのと同じように。周りの人は誰も気付いていないようだが、自分には分かる。幼い頃からずっと一緒にいたし、何より――竜彦のことがずっと好きだったから。
 周囲からはぶっきらぼうに思われている竜彦であるが、祥子は知っていた。彼は本当は優しい人間であることを。昔から、困っている人を見捨てることはしなかった。『面倒くさい』と口では言いながら、結局は構ってしまう。勿論、自分に対してもそうだった。完璧であることを常に求められ、時々そのプレッシャーに押しつぶされそうになると、竜彦は外面は困った顔をしながら、いつも傍に居てくれた。いつの頃からだろう。気付いたら頭の中は竜彦への想いで満たされていた。
 フルートを始めたのだって、竜彦がきっかけだった。祥子はそのときのことを思い返した――



 中学に入って暫くすると、竜彦は学校が終わるとすぐに家に帰り、前のように一緒に遊んではくれなくなった。中学生になって、女子と遊ぶのに抵抗を感じたのかな、とも思ったが、毎日毎日家に篭っているのは今まで外でしか遊ばなかった竜彦にしてはおかしいと感じた。そこで、意を決して竜彦の家に乗り込んだのだ。
 そこで初めて聴いた竜彦のギターに祥子は驚き、魅了される。『全然たいしたことは無い』と竜彦は謙遜しながら言っていたが、全然そんなことは無かった。プロから見ればそうでないのかもしれないが、少なくとも素人である自分が聞く限りでは、申し分の無いものであった。ギターを弾く竜彦の姿に祥子は、幼馴染の、そしてその頃から既に想いを寄せていた人の意外な一面を垣間見た気がした。帰り際に、自分が竜彦のギターを聴きに行ってもいいと、竜彦がはにかみながらも許してくれたのが、祥子には嬉しかった。どうも竜彦は自分がギターを弾いていることを余り公にしたくなかったみたいだったので、竜彦のギターを聴きに行くことは、彼と秘密を共有している気がしていた。

 最初は、ただ彼のギターの音色を聴くだけでよかった。だが、それだけでは満足できなくなっていた。自分はただ聴くだけ。どれだけ傍にいても、竜彦と自分との間にはどこか壁があるように感じていた。その壁を乗り越えたい。たっくんと同じ場所に立ちたい――その結果の結論としては、単純なのかもしれないが、それが精一杯の答えだった。
 祥子は以来、あまり竜彦の家に行かなくなった。

 それから半年経ち、中学校の学園祭。祥子はフルートを持って壇上に上がっていた。初舞台なのでかなり緊張していたが、下で見ている竜彦が驚いたまま固まっているのは何とか分かった。

 演奏が終わって自由時間になると、竜彦は驚いた顔のまま話しかけてきた。彼の隣には少し前に竜彦を通して知り合った達川衛もいた。
 「祥子、お前凄いな。いつの間にあんなの出来るようになったんだ?」
 「えへへ・・・」
 驚きながらの竜彦の賛辞に、祥子は少し照れながら笑う。
 「えっ?!津田さん、前からやってたんじゃないの?」
 今度は衛が驚く。
 「当たり前だろ?こいつ、今まで楽器なんか持ったことないんだから」
 「そうだよ。始めたのは中学に入ってから」
 「それであれだけの演奏が出来るのはやっぱすげぇよ」
 衛の言葉に竜彦もうんうんと頷く。その言葉に祥子は首を横に振り、
 「ううん。全然だよ。部長さんは初心者の私にも吹けるようにパートも考えてくれたのに、結構ミスっちゃったもん」
 失敗して怒られた子供のように舌をペロッと出して苦笑いする祥子。
 「それでも凄いよ。練習かなりしたんだろ?」
 失敗して怒られた子供のように舌をペロッと出して苦笑いする祥子に、衛はそう言って彼女を褒めた。
 「うん。私のために先輩が特訓に付き合ってくれてね。それでも飲み込み悪いからすっごい迷惑かけたなぁ・・・」
 そう言ってちょっとしゅんとなる祥子だが、あれだけの演奏が出来て飲み込み悪いわけが無い。もしかすると彼女にはフルートの天賦の才があるのではないか。そう竜彦は考えていた。と、同時に竜彦はほっとしていた。彼なりに祥子が余り家にギターを聴きに来なくなったのを気にしていたのだ。だから、安心の余り、
 「そうか、最近ギター聴きに来なくなったのはそういうことだったのか・・・」
 「ギター?!お前、ギター弾いてんの?」
 「あッ・・・」
 うっかり口を滑らしてしまうのだった。慌てる竜彦。衛はそんな竜彦の心情を知ってか知らずか、
 「なぁなぁ、どんぐらい弾けるんだ?」
 「相当上手だよ。ね、たっくん」
 「お、おい、祥子ッ、勝手に――」
 その辺で止めようとする竜彦を祥子は手で制す。衛は――と見ると、なにやら嬉しそうな表情をしている。
 「俺さ、今仲間集めてバンド組もうかと思ってんだけど、お前も来ないか?」
 「えっ?!」
 突然の誘いに戸惑う竜彦。
 「お前とは音楽の趣味合いそうだし、前々から誘おうと思ってたんだ。ギターをやってんなら尚更だ。メンバーはみんな初心者だから気にしなくていいぞ」
 「でも、俺は・・・」
 躊躇う竜彦に、祥子は言う。
 「やりなよ、たっくん。私だって出来たんだから、たっくんだって出来るよ。・・・私、ステージでのたっくんの演奏、見てみたいな」
 「・・・」
 祥子の言葉に、竜彦は言うべき言葉を失う。それを見てすかさず衛は手を打つ。
 「よし、決定な。これからが楽しみだなぁ」
 「おいッ、俺はまだやるとは――」
 竜彦が言い終わらないうちに衛は彼の視界から消えていた。
 「・・・たく、相変わらず勝手な奴だ」
 そう言いながらも、竜彦の顔は笑っていた。

 それから、竜彦は軽音楽部に入って衛とバンド活動を始めるようになった。たまに練習を見に行ったときの竜彦の顔は本当に生き生きとしていて、祥子はそれを見るだけでも嬉しかった。そして、祥子は夢想した。いつか並んで一緒に演奏できる日を。そんな日がいつか来ると、彼女は信じていた――



 高校に入ってから、竜彦は何に対しても無気力になり、あれほど一生懸命だったギターも余り人前で演奏しなくなった。時々、衛のバンドと練習したり、サポートに入ってライヴハウスに行っているらしいが、いつも教えてくれなかった。竜彦が演奏していたことを親友であり衛の彼女でもある高橋優希から聞かされる度に、残念に思うのだった。彼女は竜彦のギターが好きだった。竜彦は、適当に弾いているように思えて、実はそのときの祥子の心情に見合った曲を奏でてくれていた。祥子が落ち込んでいるときは元気づける曲を、嬉しいときは軽快な曲を、感傷に浸りたいときは哀愁漂う曲を、というように。彼のギターは、彼女にとって彼のギターは自分と竜彦を繋ぐ絆の様なものだった。祥子は、もう一度自分の前でギターを弾いて欲しいと、衛のバンドに入るよう勧めたりしたが、上手く行くことはなかった。
 祥子はふと、ポケットの中に一枚のチケットが入っていたのを思い出し、それをそっと掴んだ。

 それはついこの間のこと、部活の練習も終って帰ろうとすると、突然衛が現れて一枚チケットを差し出した。
 「衛君、これは?」
 「今度のライヴのチケット。結構でかいイベントだから、来てくれると嬉しいな」
 「で、でも・・・」
 衛は中学のとき竜彦を通して知り合って以来の友人であったが、彼にはれっきとした彼女がいる。祥子はそれが気になっていた。
 「優希と一緒に来てくれればいいよ」
 「そう・・・なんだ。ありがとう・・・」
 衛のフォローにほっとして、渡されたチケットを受け取る祥子。すると衛はちょっと真剣な表情になって、こう続けた。
 「そのライヴ、竜彦、参加するから」
 「・・・えっ、たっくんが?!」
 「俺の交渉術をもってすれば、あんなのちょろい、ちょろい」
 おどけて言う衛。祥子は少し不安げな顔しておずおずと尋ねる。
 「・・・私、行ってもいいの?」
 「当たり前だろ?竜彦も歓迎するってよ」
 嘘、だよね。祥子は直感で分かった。衛とは中学以来の付き合いだが、彼が嘘を吐けない性格であるのは把握できていた。彼の嘘を見破るのは、竜彦より簡単だった。
 それでも祥子は、微笑みながらこう答えた。
 「それじゃ、喜んで行かせていただきます。たっくんにもよろしくね」

 まだ、竜彦はライヴに出るとは言ってはいない。もしかすると、自分が行くことで竜彦はライヴに出るのを止めてしまうかもしれない。でも、自分をライヴに誘ったときの衛の表情を見て、彼は本気で竜彦を引き込もうとしているのが分かった。ただ、打算的に彼のギターが必要なのではない。衛は竜彦と一緒にバンドをやりたいのだ。昔のように。それには、どうしても祥子を引き込む必要があったのかもしれない。彼女の前で弾けなければ、彼は自分とバンドを組もうとしないということが彼には分かっていたのだろう。どうなるのかは分からない。竜彦は来ないのかもしれない。でも、もう一度聴けるかもしれない。自分と竜彦の絆を。彼がもう、自分を求めていないとしても。そんな期待を抱いて、祥子は見に行くことを決めた。もし、竜彦が現れたら、そのときはずっと言えなかった想いを――



 暫くする内に慰霊式典は次々と進み、参列者全員による黙祷を経て、ようやく終わりを迎えた。遺族や同窓生は、名残惜しくもう一度慰霊碑に手を合わせる者もいれば、昔話に花を咲かせる者、早々に引き上げる者と様々だが、生徒はそういう訳にはいかない。式が終われば即座に遺族や同窓生の邪魔にならないように片付けをしなければならない。
 祥子も早速手伝いに掛かる。今度は生徒会担当のテント片づけだ。テントを片すのは結構大変な作業ではあるが、人数も多いし、男でもあるので比較的楽にすることが出来た。それでも、机や椅子などの片付けもしなければならないから大変であることには変わりない。

 片付けが一段落すると、祥子はそっと木陰で一休みをする。相変わらず太陽は燦燦と輝き、木洩れ日が彼女の頬を明るく照らした。祥子は、真っ青に晴れた空を見ながら、その日は快晴だったという「あの日」の空を思い描いた。あの慰霊碑に名が刻まれている少女たちも、同じように空を見ていたのだろうか。そして、あの子も――
 すると、さっきの吹奏楽部の友人がやって来た。
 「お疲れ、祥子」
 「お疲れ」
 祥子は友人の言葉に微笑って応えた。すると、友人は彼女の傍に座っておもむろに切り出す。
 「あのさ、これが終わったらみんなでどこか遊びに行こうかって話してるんだけど、祥子も行かん?」
 「ごめん。今日は友達のライブがあるから」
 友人の誘いに、申し訳なさそうに断る祥子。すると、友人は怪訝そうな顔をする。
 「それって、達川君の?」
 「うん、そうだよ」
 「ふ〜ん」
 「どうしたの?」
 明らかに妙な顔をした友人に、祥子は嫌な予感を抱きつつ尋ねる。
 「いや・・・あんたみたいな優等生がああいう連中と仲がいいから――って、ゴメン。そういうつもりは無くて、その・・・気を悪くしたよね・・・」
 祥子が少し嫌な顔をしたため、友人はすぐに謝って発言を撤回する。
 衛は、どちらかと言うと髪を茶色に染めて立てたり、服装もルーズだったり、教師陣の言葉に反発する傾向があるため、先生受けはあまりよくなく、生徒からも「そういう目」で見られていたりする。彼と仲のよい竜彦もそこまで目立たないが、少なくとも同類の扱いを受けている。
 「・・・衛君も、たっくんも本当は優しい人だよ。みんな知らないだけ・・・」
 「・・・」
 そう言う時の、祥子の表情はとても哀しそうで、彼女は何も言うことは出来なくなってしまう。だからただ、
 「祥子・・・言い過ぎた。ホントにごめん」
と言って謝る他は無い。彼女は少し気まずくなって少し周りを見渡した。


 すると――


 「ねぇ、祥子!あのお婆さん!!」
 見ると、さっきの老婆が横断歩道をゆっくりと渡ろうとしていた。先ほどまでの作業の忙しさに、つい祥子はその老婆を見失ってしまったのだ。歩行者用信号は点滅をし始めている。祥子は老婆を助けようと立ち上がろうとした。が、その時――
 「!!」
 平和大橋の方から一台の乗用車が猛スピードで走ってくる。歩行者用信号を見ると、赤。すでに車道の信号は青に変わっている。そして、その信号前で止まっている車は一台も無かった。
 その乗用車は老婆に気付かないのか、スピードを全く落とす気配が無い。
このままでは――

 躊躇いは、無かった。

 「祥子ッ!!」
 友人が止める間もなく、祥子は駆け出していた。その老婆の方へ。余りに瞬時のことで、彼女の行動に気付いた者も、誰も彼女を止めることは出来なかった。

「危ないッッッ!!――」

 跳躍。

 老婆に差し伸べられた手。

 けたたましいブレーキ音。

 衝撃。

 何かが潰れるような、鈍くて、重い、音。



 一瞬の、静寂――



 そして、
 ざわめき。



 騒ぎを知ってあたりの人々が放心した状態で集まってくる。目の前の光景が信じられずに。そして、その中心にいる少女と老婆は、一寸たりとも動くことは無かった。




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